<産経抄>四季がかすむ天地の凶相 2024/11/10 05:00
- 羅夢 諸星
- 2024年11月10日
- 読了時間: 2分
晩秋から初冬にかけ、降ったりやんだりを繰り返す通り雨を「時雨」と呼ぶ。比喩的に使われることも多く、夏の「蟬時雨」や秋の「木の葉時雨」は、耳になじんだ言葉だろう。歳時記によれば、これらを「似物(にせもの)の時雨」という。
▼井原西鶴のひねった句に、微苦笑を誘う似物がある。<しゝしゝし若子(わこ)の寝覚(ねざめ)の時雨かな>。幼い子が寝起きに催す「しし」。おしっこを「寝覚の時雨」と気を利かせている。風情こそあれ害はない。そのような雨だから、比喩にもなるのだろう。
▼近年の天地が帯びる凶相は、歳時記の言葉を裏切ることが増えた。鹿児島県の奄美地方などを襲った線状降水帯は、四季ある国に詩情をもたらしてきた雨にはほど遠い。与論島では9日朝までの24時間で600ミリ近い大雨が降り、気象庁は与論町に一時、大雨特別警報を出した。
▼本土より温暖な土地に、折々の季語がそのまま当てはまるとは思わない。さりとて11月の同警報は、運用の始まった平成25年以降で初めてである。温暖化に気候変動。四季の巡りを狂わせるこれらの言葉が、水浸しになった南国の街に影を落とす。
▼折しも、国連気候変動枠組み条約に参加する国・地域の会議が、11日に始まる。温室効果ガスを大量に排出する中国が、責任ある対応を問われるのは言うまでもない。政権の代わる米国が、温暖化対策の国際枠組みから再び離脱する恐れも取り沙汰され、先を見通すのは難しい。
▼立冬の7日に東京と近畿で吹いた「木枯らし1号」もどこへ、今週は再び暖かくなるという。歳時記にある通りの「小春日和」だろうか。もしかしたら、厳しかった夏の〝残り物〟では。そんな疑念が澄んだ空をまた曇らせる。四季という言葉さえも、怪しい。
コメント