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<産経抄>戦後80年、「あの日あのとき」を胸に刻む2025/1/1 05:00

  • 執筆者の写真: 羅夢 諸星
    羅夢 諸星
  • 2025年1月1日
  • 読了時間: 2分

日付変更線を一歩越えただけで、きのうが「行きし年」になり、きょうが「新年」になる。俳人の小澤實さんに、こんな一句がある。<年あらたまる人類の深き智慧>。人類の発明品の中でも、暦は指折りの秀作かもしれない。


▼継ぎ目のない時間の中に、太い一線を引いて新たな年を生み出す。その線は、ある種の「節目」を与えてもくれる。午前0時の時報とともに、姿勢を改めた人もおられよう。誰の手元にも等しく、まっさらな暦が届けられ、令和7年が始まった。


▼と、このように書ける幸せを思う。80年前のきょう、東京の昭和20年は高射砲の音で明けた。大晦日(おおみそか)の夜から3度、米爆撃機B29が侵入したためだ。前年の暮れには浅草が空襲で焼かれ、小磯国昭首相は「敵はすでに頭上に迫っており…」と、元日のラジオで年頭の辞を読んだ。


▼交通や通信は不自由を極め、人々が疎開した先では物資の配給が滞るようになっていた。その頃、作家の伊藤整は「戦時生活という言葉はよく前から使われていたが、いよいよその真の姿を露骨に示して来た」と書き、永井荷風は元日の日記に「此夜空襲なし」とつづっている。


▼銃後の暮らしは不安と窮乏にさいなまれていた。わが国を守るため、戦地に赴いた先人の辛苦を思うと胸が詰まる。東京大空襲、沖縄戦終結、広島と長崎への原爆投下、終戦の日。80年前の「あの日あのとき」を幾度も胸に刻みたい節目の年だ。


▼自衛隊を持ち、米国と同盟を結び、わが国は80年にわたり「戦後」を守ってきた。同じ地上で絶えることのない戦火を思えば、誇るべき歳月である。<新しき年のはじめに祈るらく世界はみたび戦ふなかれ>土岐善麿。真新しい暦に願うのは、その一事に尽きる。



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